
Voicy公式パーソナリティとして、「文化放送働き女子」や「スポニチニュース」を担当した小林厚妃(こばやし あつき)さん。 派遣OLからスタートし、フリーアナウンサー、局アナを経て、現在は広報へ。「異色」とも言えるユニークなキャリアを歩んできた小林さんですが、そのすべての経験が今の「伝える力」に繋がっています。 独自の道を切り拓くまで、彼女はどんな壁に立ち向かい、どんな想いを胸に活動を続けてきたのでしょうか。 今回のインタビューでは、小林さんがプロの視点を育む土壌となった「Voicy」でのエピソード、そして活動の原動力について、じっくりとお話を伺いました。
▶︎プロフィール
小林 厚妃:Atsuki Kobayashi
会社員との兼業でVoicyパーソナリティを務めた後、フリーアナウンサーへ転身。チバテレビでの高校野球リポーターを経て、テレビ埼玉『LIONS CHANNEL』8代目アシスタントMCを2年間担当。2023年よりとちぎテレビにて『イブ6プラス』『とちテレニュース』キャスターなどを務める。現在は退職し、会社員として勤務。
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「第一志望じゃない人生」も楽しい
――華やかなアナウンサーキャリアですが、最初は派遣OLからスタートされたんですね。
小林さん:そうなんです。大学卒業してから3年間、派遣のOLをやっていました。大学時代に就職活動はしたんですけど、途中でちょっと心折れちゃって(笑)。 結局、3月ギリギリで面接に行った派遣会社で受かったところに勤めた、という感じです。
――当時、「声の仕事」への憧れはあったのですか?
小林さん:もともとラジオが大好きだったんです。実家が長野で、夜はエンタメが何もない。親に「早く寝ろ」って寝室に押し込められても、スマホもない時代ですから、ラジオをポチっとつけたら「超楽しそう、東京!」って(笑)。 特に好きだった番組のが、ヤンキー先生(義家弘介氏)の『夢は諦めない』。10代の子たちが生放送で相談するんですが、先生がめちゃくちゃ熱く答えるんです。その中で「明日やろう、はバカ野郎」という言葉がすごく響いて。
――その言葉が、小林さんの原動力になっている。
小林さん:そうですね、今でも明日に回すことはありますけど(笑)。でも、第三者への言葉が「自分に言ってるんじゃないか」って思うぐらい響く瞬間があって、ラジオってすごいなと。福山雅治さんやオードリーさんのオールナイトニッポンも大好きでした。
――では、就職活動ではアナウンサーを目指して?
小林さん:それが、アナウンサーは志望していなかったんです。ラジオが好きすぎて、「ラジオを作る側」になりたかったんです。だから東京のラジオ局5社を「総合職」で受けました。
アルバイトをしていた大手ラジオ局は最終まで行ったんですが、落ちてしまって。もう、めちゃくちゃ落ち込んで「わあ、選ばれなかった」って号泣して。コネ入社できるかも、なんて甘いことを考えて、ラジオ局以外の会社をどこも受けていなかったんです。
その後入社した派遣OL時代に出会った先輩たちとは10年以上経った今でも仲が良くて、私がとちぎテレビに入るときも盛大にお祝いしてくれました。あの人たちがいない人生なんて考えられない。 もしラジオ局に入っていたら、この人たちには出会えなかった。だから、願いが通じなくても、その道を「正解」にしていくのは自分次第なんだと気づきました。

人生を変えた「勘違い」
――そこから、どうやって「声の仕事」の道へ?
小林さん:派遣OLをしながら、漠然と「声を使った仕事がしたいな」とは思っていて。そんな時に見つけたのが、Voicyの「文化放送働き女子パーソナリティ」のオーディションでした。
――それが、Voicyとの出会いだったんですね。
小林さん:いえ、この時点でも、私、Voicyのアプリを全く知らなかったんです(笑)。 オーディションの募集要項に「文化放送」って書いてあったので、「受かったら文化放送に入社できるんだ!」って本気で思ったんですよ。
――まさかのスタートでしたね。
小林さん:でも、合格した流れで、フリーアナウンサーの事務所に所属して、その後、チバテレビやテレビ埼玉に出演するようになりました。そこからとちぎテレビに入局したのが31歳の時でした。 あの「勘違い」から、私の「声のプロ」としてのキャリアが、本格的にスタートしたんです。

局アナの現場で活きたVoicy公式パーソナリティの経験
――実際にVoicy公式パーソナリティになってみて、いかがでしたか?
小林さん:もう、すごく楽しかったですね。Voicyを始めてから、自分の意見や思考がすごく整理できるようになったんです。
――多くの方が「フリートークのネタを考えるのが大変」とおっしゃいます。
小林さん:へえ、そうなんですか! 私はスポニチ(公式チャンネル)が週1回しか回ってこなかったんで、収録する日が待ち遠しかったんですよ。「いつだ、いつだ」「いつから撮っていいんだっけ?」って。
――Voicyでの「個の発信」の経験は、その後の「プロの現場」でどう役立ちましたか?
小林さん:めちゃくちゃ役立ちました。とちぎテレビで局アナになった時、アナウンサー自身も情報番組や報道の現場で「特集」を組まないといけなかったんです。自分でネタを見つけて、取材して、VTRを作って、スタジオで喋る、という。 その時に、Voicyで日々「何を話そうか」とネタを探していた経験が、ものすごく活きました。
Voicyで発信するには、「今日は何があった」「あれは、どういうことなんだろう」と、常に世の中や自分の身の回りにアンテナを張っていないといけないですよね。 局アナの仕事でも、その「新しいことに常にアンテナが張っている状態」のまま臨めたんです。Voicyをやっていなかったら、もっと大変だったと思います。
――小林さんはスポーツ、特に野球にお詳しいですが、スポニチニュースの経験も大きかったですか?
小林さん:はい。スポニチという大きな新聞社さん、そしてVoicyという媒体で発信していたことは、ある意味「安心材料」というか、フリーアナウンサーとしてのステップになっていたと思います。

休むのが恐怖だったフリー時代
――フリーアナウンサーと局アナでは、求められる役割は全く違うものですか?
小林さん:もう、全然違いますね。フリーの時は、「少しでも間違えたらクビ」だし、「次呼ばれなかったら終わり」という緊張感の元で常に仕事をしていました。休みの日なんて恐怖でしたね。休んでなんかいられないし、実際、気持ちは全く休まらない。 フリーの時は依頼されたら、「この原稿の背景はこうで、ここはにイントネーションを持ってきて…」とめちゃくちゃ考える時間がありました。
でも局アナになると、もう業務量がとんでもなくて。「これ読んで」って感じで原稿がバサッと来る。もう「読み仮名を振る」ので精一杯(笑)。数をこなさなければいけないので、フリー時代のようにはいかない。 それでも自分のやりたい声の仕事だから、どうやってそこに自分のこだわりを当てはめるか、めちゃくちゃ葛藤しました。
情熱はお腹に、声は「まっさら」に

――そうした葛藤の中で磨かれた、「プロ」としてのこだわりを教えてください。
小林さん:ナレーションやニュースを読む時は、「イントネーション」「背景にある意味」「全体図」を必ず意識します。 特にニュースは、視聴者が「まっさらな状態」で聞けるように、平等性を欠いた偏った話し方にならないよう、すごく気をつけていました。
――まっさらに、ですか。
小林さん:はい。例えば「今日がとても気温が高く、山の紅葉もとても色づいております」というただの文章でも、アナウンサーは上から下に(感情を抑揚させすぎず)読まないといけないんです。 でも、その読み方をしながらも、「天気がいい!」「紅葉がきれい!」っていう情熱は、ちゃんとお腹に持って、声に乗せなきゃいけない。このスキルとテンションの両立が、今思うと本当に難しかったですね。
――その技術は、どうやって磨いていったのですか?
小林さん:年を取ると、誰も注意してくれなくなるんですよ。だから、自分からアナウンサーの先輩に「何でも言ってください。パワハラとは絶対言わないんで」ってお願いしていました(笑)。
「これを言ったらパワハラじゃないか」って、ベテランの方たちも気を遣う時代なので。「成長しないんで、言ってください!」って、自分からフィードバックをもらいに行っていました。根がたぶん、バレー部の体育会系なんです(笑)。
――最後に、かつての小林さんのように「声の仕事に挑戦したい」と悩んでいる方に、メッセージをお願いします。
小林さん:私、本当に迷わないんですよ。 私の原点は、ラジオで聞いた「明日やろう、はバカ野郎」。だから、多分「悩んでるよ」とか「迷ってる」時点で、多分やりたくない理由を探してるし、多分やらないんですよ。 挑戦する人は悩まない。もし足かせになっているものがあるなら、それをまず原因究明したらいいと思います。
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